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005 新藤直希という男

last update Last Updated: 2025-05-19 17:04:00

「あれ……どこですか、ここ……」

 深夜。

 あおいが目をこすりながらそうつぶやいた。

 見慣れない天井、見慣れないカーテン。

「……そうでした。私、あおい荘に住むことになったんでした」

 ふかふかの布団に顔を埋める。

「ふふっ……三日ぶりのお布団……気持ちいいです」

 幸せそうに笑い、枕を抱きしめた。

「大変でしたけど、おかげでこんな素敵なところに住めるようになったです……直希さんには本当、感謝です。他のみなさんも優しそうで……ふふっ、こんな気持ち、初めてかもです……

 明日からのお仕事も、頑張らないとです。私だってちゃんと自立出来るんだって、父様に認めてもらうんです」

 そう言って寝返りをうつ。いつものベッドと違って、一回りするとすぐに布団からはみ出てしまう。それが新鮮で、布団から落ちずに寝返りがうてるよう、何度も試す。

 くすくすと笑いながら回る。そしてそんなことをしている自分がおかしくて、また笑った。

「少し喉、乾いちゃったです」

 直希から、冷蔵庫は自由に使っていいと言われていたのを思い出す。

 あおいは起き上がり、食堂に向かうことにした。

 * * *

「あ……」

 食堂のテーブルで、電気スタンドの灯りの下、ノートを開いている直希と目が合った。

「あれ? あおいちゃん、どうかした? ひょっとして眠れないとか」

「ちょっと喉が」

「ああ、喉が渇いたのか。いいよ、冷蔵庫の中の物、好きに飲んで」

「ありがとうございますです……じゃなくって、直希さんこそこんな時間、何してるんですか?」

 古めかしい柱時計を見ると、既に0時をまわっていた。

「これは入居者さんの健康ノート。明日主治医の先生が来るから、念の為目を通しておこうと思ってね」

「こんな時間まで、いつも働いてるんですか?」

「もう寝るけどね。それにまあ、ここのスタッフは俺だけだし、ぼちぼち自分のペースでやってるからね。それに早く切り上げたところで、特にすることもないし」

「すごいです……でもそれなら、私にも言って下さいです」

「うん、いずれお願いするよ。でも、今日のあおいちゃんはお客さんだから」

 そう言って、コップにジュースを注いだ。

「ジュースでよかった?」

「は、はいです。ごめんなさいです、色々と気を使っていただいて」

「ははっ、そんなところで落ち込まないで。それに明日からは、しっかり働いてもらうから」

「直希さんはどうして、このあおい荘を始めようと思ったんですか?」

「う~ん、簡単に説明するのは難しいけど……俺ね、小さい時に両親を亡くしてるんだ」

「……」

「夏休み、じいちゃんばあちゃんの家に泊まってた時、家が火事になって。それからはずっと、じいちゃんばあちゃんの世話になってるんだ。

 うちの親、と言うかじいちゃんばあちゃん、小さい街工場を経営してたんだ。まあ、他に従業員っていっても二人だったし、本当に小さい工場。それでもそこそこ利益はあったし、俺には結構な額のお金が残された」

「遺産……ですか」

「うん。それに火災保険やら生命保険、諸々足したら、普通の人じゃ手に入らないぐらいのお金が残された。

 じいちゃんばあちゃんも、父さん母さんも仕事人間で、ずっと頑張ってきた。そしてこうして、俺に結構なお金を残してくれた。でもね、高校ぐらいになった時に思ったんだ。お金って何なんだろうって」

「どういうことですか?」

「みんなが死に物狂いで残したお金。幸せになろうと頑張った結果のお金なのに、父さん母さんは死んでしまった。ひょっとしたらお金では、人を幸せに出来ないんじゃないかって思った。

 そりゃあ勿論、あるに越したことはないんだけど。でも幸せってそれじゃないんじやないかって思うようになったんだ。

 大学に入って色々考えたんだけど、つまるところ人って、人との触れ合いが一番の幸せなんじゃないか、そういう結論に辿り着いたんだ。

 そんな時、地元のボランティアに参加したんだけど、高齢者の数がすごいことに気づかされた。なのに福祉のシステムが追い付いてなくて、お年寄りが邪魔者扱いされている。

 その現実を見て。今まで頑張ってきた人たちの為に、俺に何か出来ることはないか、考えるようになった。

 幸い俺には、どれだけ贅沢してもなくならないお金がある。だったらこれで、みんなを笑顔に出来ないかって思ったんだ。その結果かな」

「お金で人は、幸せになれない……」

「極論だけどね。でも突き詰めたらそうだと思う。いくらお金があっても、健康じゃなかったら使うことも出来ない。何より、独りぼっちじゃどうしようもない。だからここで、一人でも多くの人に楽しく暮らしてもらえれば、そう思ってる」

「ここって、家賃おいくらなんですか?」

「入居者さん? 月7万だよ」

「それってお部屋の」

「全部込みだよ。光熱費も食費も込みで7万」

「ええっ? たったそれだけなんですか? お風呂もご飯も入れて」

「あおいちゃんも7万だからね」

「そんなに安くて、ここの運営成り立つんですか?」

「お金儲けで始めたんじゃないからね。それに俺、金には困ってないから」

「じゃあ月々の収入は、40万ちょっと……」

「それだけあれば十分だよ」

「直希さんって、変わってますです」

「そうかな? おかげで俺も毎日楽しいし、この仕事を始めてよかったって思ってるよ」

「変わってますです。でも、すごいと思いますです」

「あおいちゃん?」

「直希さんの力になれるよう、私も明日から頑張りますです」

「うん。お願いするね」

「はいです。じゃあ私、そろそろ部屋に戻りますです。一日目から寝坊する訳には……あっ」

 勢いよく立ち上がったあおいが、バランスを崩して倒れそうになった。

「あおいちゃん!」

 咄嗟に手を出した直希。

 何とかあおいの体を支えられた。

 が。

 またしても直希の手に、重厚感のあるやわらかな感触が伝わってきた。

「はっ……」

「あ……こ、これはその……」

「ふにゃああああっ!」

 あおいが胸を隠し、そのまま部屋へと走っていった。

「あおいちゃん気をつけて。そこ、段差が」

「ひゃっ!」

 食堂出口で、見事につまずいて倒れた。

「大丈夫?」

 直希が心配そうに駆け寄る。しかしあおいは慌てて立ち上がると、

「おやすみなさいです!」

 そう言って、部屋に走っていった。

「……」

 手の平に残った感触。

 少し頬を赤らめた直希が頭を掻き、

「そろそろ寝るか……」

 そうつぶやき、小さく笑った。

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